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鴨島(かもしま)は、現在の島根県益田市高津・中須沖の日本海にあったとされる島である〔矢富 (1952)、63頁; 矢富 (1963)、98頁; 池田 (1979)、48頁。〕〔。諸説ある柿本人麻呂の終焉地とされるうちの一つであり〔矢富 (1963)、97頁; 益田市誌編纂委員会 (1975)、331頁; 藤岡 (1981)、48頁。〕、1026年(万寿3年)の万寿地震によって海中に没し〔〔〔、地元で「大瀬」と呼ばれている暗礁が水没した鴨島の跡だとされるが〔〔矢富 (1963)、98頁; 益田市誌編纂委員会 (1975)、330頁; 池田 (1979)、48頁; 飯田 (1979)、201頁。〕〔、伝説に過ぎないとする説もある〔〔〔矢富 (1952)、64頁; 矢富 (1963)、97頁; 益田市誌編纂委員会 (1975)、324頁。〕。近年、学術調査が行われており〔〔〔、鴨島が実在したことの直接的な証拠は見つかっていないものの〔「平成万葉の旅33 人麻呂終焉の地に論争(島根県益田市) 」『読売新聞』 2009年2月16日。〕、地震や津波が発生したことは間違いないとみられることから〔〔〔、一概に否定することはできないと考えられている〔〔藤岡 (1981)、48頁。〕。 == 伝承 == 益田川河口から500メートルないし1キロメートル沖合にあったとされる〔〔。東西約2キロメートル・南北約300メートルで〔、本土とは砂州でつながった陸繋島であり〔〔〔、岩盤の上に砂が堆積しただけの低い砂丘の島であったと考えられている〔〔〔矢富 (1952)、64–65頁。〕。また、鴨島の東には同規模の鍋島があり、さらに東の遠田沖には柏島があった〔。伝承によれば、在りし日の鴨島は外浜と内浜にそれぞれ良港を持ち、日本海を行き交う船は必ず立ち寄るほど繁盛した島であったという〔矢富 (1952)、64頁; 矢富 (1963)、98頁; 益田市誌編纂委員会 (1975)、324頁; 飯田 (1979)、199頁。〕。島には「鴨山」と呼ばれる小高い地があって〔〔益田市誌編纂委員会 (1975)、325頁。〕、柿本人麻呂はそこで没し〔〔、後の神亀年間に聖武天皇の勅命によって人麻呂神社とその別当寺「人丸寺」が建立されたとされる〔〔矢富 (1952)、63頁。〕〔益田市誌編纂委員会 (1975)、323頁。〕。他に、千福寺・万福寺の2寺があった〔飯田 (1979)、199頁。〕。 しかし、1026年6月16日(万寿3年5月23日)深夜に発生したとされる〔〔矢富 (1952)、63頁; 矢富 (1963)、96頁; 飯田 (1979)、199頁。〕万寿地震によって一夜にして海中に没し〔〔矢富 (1952)、63頁; 矢富 (1963)、97頁; 益田市誌編纂委員会 (1975)、323頁; 藤岡 (1981)、48頁。〕、人麻呂神社・人丸寺・千福寺・万福寺の1社3寺と約500軒の民家は悉く流出し壊滅した〔飯田 (1979)、203頁。〕。鍋島・柏島も同じくこの時に陥没したと伝えられている〔。 また、このとき流された人麻呂神社の神体であった神像が対岸の松崎に漂着したため、その地に改めて柿本神社と人丸寺が再建されたという〔。現在の高津柿本神社は、1681年(延宝9年)に風水害を懸念した津和野藩主亀井茲親によって松崎から現在地に移転されたものである〔〔。 現在、地元で「大瀬」と呼ぶ暗礁が鴨島の、「三瀬」と呼ぶ暗礁が鍋島の陥没した跡だとされている〔〔〔矢富 (1963)、98頁; 益田市誌編纂委員会 (1975)、330頁; 飯田 (1979)、201頁。〕。「大瀬」は、浅いところで水深3メートルから6メートル〔〔、深いところで水深12メートルから13メートル〔〔で、短径300メートル面積20万平方メートルの楕円形をしており〔、波の荒れた日には「大瀬」の上に白波が立つのを見ることができる〔益田市誌編纂委員会 (1975)、330頁。〕。 その「大瀬」で1901年(明治34年)8月21日に地元の漁師が海中から引き上げた漢鏡や双盤が、中須の福王寺に保存されている〔飯田 (1979)、202頁。〕〔益田市誌編纂委員会 (1975)、328頁。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鴨島 (島根県)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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